考えるヒント アイデアマラソン哲学 9 哲学の順序

まずは自分の哲学を求めよう。その上で古の哲学者を探ろう。

閉塞状態の現在の“哲学界”を見てみよう。現在の哲学がかび臭い。それに新風をふきいれようというのがアイデアマラソン哲学である。

現代の哲学とは哲学の歴史の暗記勉強、詳細研究だろうか?最近こそ分かりやすい内容にしようと努力している哲学者が何人かいて、その努力を感じられる哲学関係の本も出始めたが、それでも大半が哲学史と古の哲学者の歴史のことである。

日本の哲学関係の学会の論文集を見ると、ほとんど古の哲学者の歴史書であり、有名哲学者の所見を詳しく、こと細かく書くことに徹していて、まったく分からない上に、面白くない。これじゃ、哲学の人気が低迷し、大学の哲学科の志望者が減ってしまうのも無理はないと思う。授業が始まって居眠りを始めるまでに5分かからない。

発想を記録することは知恵を求め、知恵を与える準備をすることだ。フィロソフィアという言葉は発想を愛するという言葉であり、“哲学“と訳した西周は、大学で教えるために、“学”という字を付けたに違いない。知恵を愛するでは、大学での教科にもならなかっただろう。

ただこれは、大きな弊害をもたらした。大学や思想界にソフィストを定着させたのだ。ソフィストとは、言葉の遊び、言葉の端っこをつついたような研究、難解の用語での目くらませ、独自の排他的世界の構築などで、人々を啓蒙するどころか、人々にあきれに近い諦めを造った。特に多くの大学において、哲学という“学問”に似せた考古歴史学で、学生たちに大学に入学したことを悔いるような授業を平然と行っているのではないだろうか。

哲学は、この一般人を煙に巻く格調の高い調子を過去何百年、何千年も続けてきたのだから、すごいと思う。知識のひけらかし、衒学、教える目線の高さなのだ。しかし、これでは哲学はそっぽを向かれ、今や絶滅危惧種に指定されてもおかしくない状態だ。

哲学の分野では、話の内容が考古学や古物店ばかりで、新製品の公開が無い。つまり新しい思考や人生観の仕方は考えないのかという疑問を感じる。つまり独創性に欠けるのだ。昔の哲学者の考え方の重箱をほじくるばかりの現代の哲学研究者は、昔の哲学者の墓暴きに近いことしか関心がない。それも欧米の哲学者たちのことを話している。そのような哲学研究者が大学で若い学生たちを指導しているのかと思うと、現在の大学の哲学の教師たちは、学生たちが哲学を大嫌いになるように努力する運動の指導者のように感じて悲しくなってしまう。

哲学にあこがれを感じている学生は多い。大学生として様々な思考を一つの整った大系の中で進めたいと考える。その中には、先生の人格や経験、思考、人生観なども含めて哲学の講義で学びたいと考えている。その学生たちに、カビの生えたような退屈な、難しい言葉の羅列の講義は、学生たちに拒絶反応を起こしてしまうのも無理はない。

哲学は一人一人の人生の構成要素である。人体で言えばたんぱく質かもしれない。あるいはたんぱく質に含まれる微小なホルモンかもしれない。とにかく活きていなければならないものだと思う。かび臭い昔の話を見てきたように説明を受けるのは本当に嫌だ。不愉快だ。自分の哲学の考え方を示して欲しい。

(1)哲学ということばから「学」を抜こう

「哲学」が哲学史に占領占拠専売とされているならば、別の言葉で私たちが使う可能性として、「哲知」という言葉を用意した。テッチリではないテッチである。ただ、まだできたての言葉であり、150年間日本で使われてきた哲学という言葉は、本書の結論から「哲知」に切り替えて使って欲しいと思っている。極端を言えば哲学の学を外したいだけだ。本書では、「哲学」を使い続けるが、「哲学」という言葉の既存のネームバリューを考えてのことだ。

(2)哲学を教える者、学ぶ者、関心ある者は、まず自分の哲学を持とう

これを言うと、「それだから、昔の哲学者の考えを知れば、自分の哲学を得ることができるのでは」とか、「昔の哲学者を学ばなければ、自分の哲学なんておこがましい」という先生の声が聞こえそうだ。「その先生が自分の哲学を持っているのか?」「その哲学は、昔の大哲学者の受け売りなのか?」「自分独自の哲学は創り上げているのか?」という私の質問に応えて欲しい。

 「自分独自の哲学を持つなんて大それたこと」と考えないで欲しい。大それたことと思うだけで思考停止になってしまう。とにかく、自分の哲学を持つべく悩んで欲しい。考えて欲しい。思考を楽しんで欲しい。

 自分独自の哲学を持ちたいと思っている。あるいは考えているところだというのは良いだろう。私だって、このアイデアマラソン哲学が完成体とは思っていない。しかし、常に独自の哲学を探し、思考し、それを書き留めて欲しい。

 いにしえの哲学者を学んではいけないと言っているのではない。順番なのだ。まずは、自分の哲学を持とうという意思と姿勢を示す必要があるということだ。

(3)アイデアマラソン哲学とは何か

 樋口健夫の哲学は、「自分の思考をノートに書き留め続け、見直して、周りと話し、自分がベストと思えるもの(こと)の実現を目指すこと」としている。

 私はこのアイデアマラソン哲学を広めることが、私のライフワークとなっている。なぜかと言えば、アイデアマラソンを誰もが実行すれば、年齢、学歴、性別、民族を問わず、哲学の道を歩むことができると考えているからだ。

アイデアマラソンを数年、数十年継続しながら自分の思いを書き留めて、そのことをバックボーン(背骨)にして、昔や他の哲学を知ろうとしたり、他の哲学者の話を聞こうとすることだ。

(4)哲学は分かりやすく人に説明すること

 先生なら、哲学を人に説明しようとすることが非常に重要だ。形而上学の言葉のように、日本人を煙に巻くような姿勢では、本人の哲学者としての素養まで疑われることになる。

 とにかく哲学者は、昔の哲学者のことであれ、今の哲学のことであれ、誰もが理解しやすい言葉で語り、説明することが大切だ。

考えるヒント

(1)自分の周りにいる人の中で、もっとも哲学を語れる人を探そう。

人生を語り、自分の思っていることを留めなく、時の経つのを忘れて話ができる人を探そう。

(2)あなたの思考のノートに書き留めたい、もっとも関心のある抽象的な言葉は何か?

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