[最前列立ち席]

 私は講演を聞きにいくときは、最前列の真ん中に座る。

中学、高校、大学、大学院時代も、仕事の説明会や、国際会議も、最前列の真ん中の机に座る。小学校は、あまり(私が質問ばかりしてうるさかったので)最前列よりさらに前の先生の教壇の横の特別席だった。

京都に市電が走っていた頃、私は京都の市電が大好きだった。それが後の私の鉄道大好き、乗り鉄ちゃんとなったのだろう。京都の市電はすごく横揺れした。右に左にがんがん揺れて、それでも一生懸命に走っていた。市電の運転手の横の後ろから前と運転手の手さばきを見ていると気分がすっとした。横揺れしている市電で、進行方向に向かって一番前で前方を見ながら、仁王立ちして吊革を持たないで市電の揺れに体を合わせて乗るのが高校生の時の私の姿勢だった。

大学に入って市電に乗らなくなって、世界中を飛び回ったが、運転席の横に立つ喜びを忘れていた。

例外は、ラオスの地方で水晶のサンプルを入手するのに、東京本社の許可を得て、双発の飛行機をチャーターしたとき、操縦士と副操縦士の間に座席があり、ラオスの山々を見下ろしながら、飛行を堪能したことと、ヒマラヤの中腹の町に、土砂崩れで私と出張者3名、案内者の合計4人の緊急でヘリコプターに乗ったことで、操縦士の横に座る栄誉を得て、短時間のヘリ旅行を楽しんだことがある。

もう一つはジンバブウェの蒸気機関車を運転させてもらったが、蒸気機関車は目の前はよく見えず、窓から顔を出して見るのは、蒸気機関車の客車部分の窓から見るのと変わらなかった。その後の一番の思い出は、只見線だ。

福島県の只見線に乗った時、運転手の横後ろに立って、緑のトンネルの道を列車が疾走している気分で最高だった。私は座席を忘れて突っ立っていた。

今日、予讃線で松山から宇和島までの特急列車の1号車に乗ったとき、乗客は指定席1両目の半分程度の入りだったが、私はすぐに自分の座席を離れ、車両の最前部のところに立って眺め始めた。ジーゼルエンジンの気動車で、特急列車宇和海19号は、ばんばん走る。ジーゼル特有の音も心地よい。

一番前の見晴らしはまさに運転パノラマの場所だ。単線の予讃線の特急が走ると、いたるところで各停の列車(いずれもジーゼル)が待避している横を突っ走る。こんな気持ちの良い鉄道旅行は無い。私は松山から宇和島までの半分くらいを最前部で眺めていた。

車掌室が運転席(見えない)の横にあり、車掌がいる間は私も遠慮したが、同じ切符代を払っていて、こんな特別席で見られるのは最高だ。もっと乗っていたいと思ったら、宇和島に到着してしまった。

私が一人で1号車の先頭部分に立って、はしゃいで前を見ているのを見て、「ああ、観光客だなあ」とか、「ああいう旅行の楽しみ方もあるんだな」とか、思われたに違いない。

予土線で鬼北町の近永駅から2つ先の松野駅まで乗ったが、1車両のワンマンで、もうこれは「となりのトトロ」の雰囲気だ。緑のトンネルを右に左にくねくねと曲がっていて走っていく。

 上り下りの坂がなんどもある。こんな坂でも上るんだ!松野駅はポッポ温泉がある。駅舎そのものの2階が温泉なのだった。駅舎の入り口を出たところを右に曲がると、同じ建物で温泉に行ける。

 帰りの列車までの1時間を温泉にはいり、帰りの時間には暗くなっていた。くねくね線路を走っていると、千と千尋の世界だった。

 その時に思いついた発想がある。単車両の単線の予土線を走っているとき、かなりのカーブを右、左と曲がって走るのだ。その時、車両の前照灯は、当然電車の動きに合わせるから、曲がった後の方向の線路の景色は前照灯がなくて真っ暗だ。多分、運転手さんは、曲がった先を見ているのだろうが、見えないのではないか?

 たとえば、鹿やイノシシがいても、障害物があっても、土砂崩れがあっても見えない。単車両の電車のヘッドライトを一つ増やして、一つは車両が曲がる方向を照らす形にすれば、事故を防げるのではと思った。

昔のシトロエンSMや、マツダのCX―5はステアリングに連動していて左右に可動したが、電車はステアリングがないので、別の方法で第2前照灯を左右に動かす必要がある。

 さっそくノートにそのアイデアを書いておいた。急カーブでは他の列車でも使えるかもしれない。特許になるかもしれない。

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