一日雨が降り続いた夕方に、散歩がてらに近所のXXというドラッグストアに買物に行った。ポンチョを着て、厚手の帽子で、自転車に乗って行った。
自分の気分が緩んでいるなあと思ったのは、買物の二三品目を、レジに持って行ったとき、マスクをしてくるのを忘れていたことに気がついた。
手に持った二三品目はカードで支払い、急いで帰ろうと思ったが、ヨメサンから頼まれた別の店の買物が残っている。仕方がないので、出口近くの棚のマスクのコーナーで5枚295円の不繊紙マスクを買うことにした。ポケットには350円の硬貨があった。
マスクを買って、袋を開き、2枚の不繊紙マスクを重ねて装着し、店の外に出て、外の自転車置き場に行った。
自転車の鍵をポケットから出す時に、先ほどのマスクのお釣りの1円がコロンと落ちた。(誰でもそうだが)お金の落ちた音には、準本能的に下を見る。下に、1円玉が(当然)あった。
ところが、その1円玉は、お兄ちゃんと一緒だった。その傍に10円玉があった。
ここで私はポケットの底をチェックしたら、先ほどのマスクのおつりはほぼポケットに残っていたので、その10円玉は“うちの子”ではなかった。
ここで、樋口家伝統の家訓が頭に浮かぶことになる。
「樋口家家訓:1円玉は、独りで落ちる。それ以外の10円硬貨、100円硬貨、500円硬貨が落ちていたら、お友達と落ちる可能性が高い」
私は雨の強く降る中で、無人の自転車置き場を我慢強く眺めまわしたら、2メートル半径に、な、なんと、100円玉のお父さん、お母さんで2枚、50円玉の大きいお姉さん、1円玉の兄弟2人が、「僕たち、ここに居るよ!拾ってください!」とずぶ濡れになって、無言で泣き叫んでいるではないか。
こうなると、先ほどのマスクのお金とほぼ同じだから、雨降る中で、ポンチョに手を入れて、もう一度残金チェックしたが、やはり支払ったおつりは、ぬくぬくポケットで休んでいた。
そうすると、これは何なんだ?夢か、幻か?「落とす金あれば、拾う金あり」と、ぼそぼそ独り言を言いながら、冷えて寒そうにしていた硬貨を手の中で温めてあげて、ポンチョに手を突っ込んで、収納した。
「さあ、行こう」と思ったが、コロナで伸びたうしろ髪を引かれる思いがした。
(それで良いのか?家訓はどうした?)と自問の声。
更に広域捜査を拡げるため、ポンチョのまま、そのXXドラッグストアの出口まで戻り、自転車置き場までの足跡を調べたら、“あった”さらに1円玉1個!
何となあ!マスクを忘れたおかげで、マスクがほぼタダになった。またまた我家の強力な家訓の効果を実証したことになる。
もちろん高額の落し物は、交番にお届けするし、してきたが、263円で、そこから自転車でも10分の交番に74歳のおじいさんが、土砂降りの雨で行くのは物理的にも、心理的にも、体力的にも難しかった。
非常に気分よく帰宅できた。
考えるヒント あなたの家の家訓は?