考えるヒント 巣ごもり自粛と算数教育

昨日は、自粛と漢字教育だった。

今日は、勉強の双璧の算数教育について語る必要がある。一応の文字・数字が読めるようになったら、算数を教えることができる。

我家(ほぼ私の)の教育基準では、算数は小学校1年生の時に小学校3年まで、簡単に教えることができた。小学校2年では小学校5年生まで進めることが可能だった。

私の子供時代から付き合いしていた京都の書店に頼んで、30分の日めくり問題集を購入した。「算数計算」「算数文章題」「国語問題集」「漢字練習帳」の1年生から6年生までを、同じものを各4冊ずつ購入して、それらを厳重に透明プラスチックの袋に入れて、段ボールに納めて、船便でサウジアラビアに送ってもらった。到着まで2か月かかった。

こうして、我家では、サウジアラビアのリヤドに駐在していた時、小学校1年の長男に算数教育を開始した。最大の難関は、自由教育論者(実際は放任論者)のヨメサンの猛反対を押し切ることだった。離婚寸前の激論を交わした。「どんな資格があって、あなたの教育論を子どもに押し付けるのよ」「子供は自由にのびのびと過ごさせたいの」「勉強したいと思えばするようになるわ」これらの文句を何百回も聞いても、私は無視した。

子供たちは、自分の教育のことで、両親が激しい口論をしているのをいつも見ていた。それでも私は押し通した。まずは朝、会社に出かける前に、日めくり問題集(答えの部分は、破って、秘密の引き出しに隠しておく)を数枚、「はい、これ、今日やるんだよ。分からないことがあったら、ママに尋ねるようにね。それと採点してもらうんだよ」と言って、お気楽にでかける。

昼に帰宅すると、私もチェックしたが、出張したり、昼に外食の時には、必ず「算数問題やったか?」とヨメサンに電話で訊ねる。

「今、やってるわよ。本当にうるさいわね。そんなにうるさく言ったら、嫌われるわよ」という感じだった。

帰宅すると担任の先生(ヨメサンのこと)に、「今日の算数計算と文章題を見せて」と要求。採点してあるのをみて、計算過程を特にチェックした。私は我家のペーパー校長先生だった。ヨメサンは実質の担当教官。

両親が二人いて、子供が数人なら、算数は1年間に3年分進めることができる。分からなければ、分かるところまで戻ればよいのだ。

計算問題も、文章題も、答えだけがボコッと浮かぶはずがない。答えだけが書かれていたら、計算過程の書かれた紙を要求した。担任のあまちゃんで、答えの用紙をしまっているところを、子供に見られて、答え丸写しをやったことがある。その時にすぐに分かった。答えだけしか書かれていない。

すぐに容疑者も判明し、尋問が始まり、結果自白に至り、謝って、「二度としません」となり、答えを消して、もう一度やり直しをするということを体験し、子供たちは、算数の問題集で正直にやらないと、結局手間が増えるだけと体験して、正直の大切さまで勉強したようだ。

ヨメサンの小学校の時代、不思議なことに、彼女は(私と違い秀才で)和算が大好きだった。ツルカメ、池の周り、旅人算、ニュートン算など、ヨメサンは今も、「私、大好き。絵で描くとすぐに分かるわ。あなたは全然だめね」と私をバカにしていた。今も続いている。

それでも、海外に生活していて、5年生の算数文章題に出ている和算にヨメサンが強かったのは、助かった。それと、文句たらたらのヨメサンだが、私は会社で留守をして、実質教えたのはヨメサンだった。

こうして、長男も二男も独自の我が家のカリキュラムで、小学校の2年で5年生まで進めることができた。5年生以降の文章題は、国語の読解力が必要となるために、じっくりとやらざるを得なかった。

 日本に帰国して、長男は小学校6年に編入したが、整列して歩くことの体験が無かった以外、問題は無かった。

考えるヒント

(1)今、もう一度、自分の最終教育レベルを上げるとすれば何をどこで勉強するか?

(2)小学校で自分の体験を話しするとすれば、何を話せば子供たちのためになるか?

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