考えるヒント 殺気 5 ネガティブ・ニュータイプ

 ガンダムのアニメは、我が家の子供たちと私の象徴的マスコットだった。子どもの「オイタ」(小さな悪いこと)に、お尻を叩こうとすると、「親にも叩かれたことがないのに」とガンダムの主人公アムロの言葉が子供から出てくる。

 巨大な有人操縦ロボが宇宙空間で、遠くからレーザー光線で襲ってくるのだが、「アムロ」は、ニュータイプで直感が鋭く、攻撃をかわすことができる。このニュータイプは、ちょっとしたテレパシーの持ち主という言葉だ。

逆に言えば、ニュータイプでなければ、あの巨大なロボットをレーザー砲を避けられるということだ。

 このアムロのニュータイプを見ていて、私は自分自身が「ネガティブ・ニュータイプ」だと思い始めた。悪いことが起こるのだけは、早めに察知できるのだ。それも仕事で、良くない状況が起ころうとしているのを、何となく早い時点で感じ取ることができるのだ。良いことは、気がつくまで放っておいても、害はない。悪いことが起こるのに気がつけるかどうかである。この独特の悪い情況判断を早期に把握をして、対抗策を考え、変更する対応を取ると、良い方向に変更できるという極めて都合の良い「未来調整可能、初期のネガティブ・ニュータイプ」であったことだ。

 中東のある国で、ある公団の公開入札(最安値で、技術などに問題なければ受注できる制度)に応募して、わが社が最安値だった。その公団の総裁は、日ごろから、「入札は1回こっきりで決める」と言われていたので、これは受注にもちこめると思った。二番手の会社には、欧州のメーカーV社が入っていた。

 しばらくして、公団から、「更に値引きをお願いする。12月Y日までに提出するように」と指示があった。「入札は1回こっきりで決める」と言われていたのに…と思いながらも敬意を払って、可能な値引きを手紙にして、購買課長に提出した。

 値段を再提出した後、公団の購買部の雰囲気が少し変わったと感じた。購買課長が私の面談を何度も断ったことも気になった。公団で、見知らぬヨーロッパ人の出張者と何度かすれ違ったこともあった。その時のヨーロッパ人の顔の口の端が、私を見ながら、かすかに笑っているのを見逃さなかった。この頃から、私のネガティブ・ニュータイプが動き始めた。

 数日経って、日帰りで国内出張した帰りに空港の廊下で、ヨーロッパのメーカーの現地代理店の社長をしているアハメッドが、子どもたち家族を連れて出発しかけていた。

「いよー、ミスター樋口。元気か?我々はこれからバカンスで2か月フランスに行くよ」とニコニコしながら言う。

(クソ、こっちはずっと仕事だ)「良いご旅行を、アハメッド」と言って別れた。

 次の日、購買課長と面談約束が取れた。私が部長に会いに行った時、私の前の購買課長との面談者が例のヨーロッパ人だった。公団の廊下で通り過ぎる時に、まさに私は、二人の一人に握手を迫り、「私は日本の商社の樋口です」と、名刺を提出した。ヨーロッパ人も自動的に握手して、自動的に名刺を出した。やはり、競合して、当社の次の2番手だった欧州のメーカーの代表だった。

 そして、購買課長に会った時、色々雑談して、

「それだけかね、ミスター樋口、私は忙しいので…」と課長が席を立ち始めたその時、

「あの値引きした案件の注文はいつ決まりますか」とぶつけた。

「そんなこと、何も決まっていない」と鋭く、怒ったように言った彼の顔にかすかな戸惑いがあった。目線を避けた。

私のネガティブ・ニュータイプは、決定的になった。本件は、負けかけている。もう手遅れかもしれない。注文がヨーロッパのメーカーに出かけている。代理店の社長が休暇を取ったのも、それが内定したから安心して出かけたのだろう。

私は悔しかった。最初の入札で最安値だったことは事実だから、受注できるのは当社だ。それが負けるとは…。私は考えて、考えて、考えた結果、一つの方法を、アイデアマラソンで思いついた。

私はその日、夜中の3時まで起きていた。

 中東現地の夜中の3時は日本の朝の9時だ。そして本社の担当者に電話した。「公団に、総裁が言われていたように、『1回の入札の最安値で決まる』と言われたので、最善の努力で最安値を出しました。しかし、妙なことに、再度値引きの要請があり、敬意を払って再度値引きをいたしました。その新価格でご注文をいただけるものと思いますが、いつ頃になるでしょうか。日本から技術者の派遣をしたいので」と手紙を出して良いかと提案した。

「それは、ほとんどクレームレターだな」

「いや、違います。問い合わせです」

「じゃ、言葉に注意して提出してよろしい」と許可をもらった。私は翌朝、手紙を作成して公団に提出した。

 公団には、ほとんど毎日、訪問していたが、2日ほど後に、公団の購買部を訪問したら、室内の全員が私をさっと見て、さっと避けた。部長は席にいなかった。私はこれを偵察飛行(サーベイランス・フライト)と呼んでいた。

 次の日も、次の日も、部長は席にいなかった。ヨーロッパ人もいなかった。

もともと中東はヨーロッパのメーカーの圧倒的な、歴史的な市場である。そこに新参の日本のメーカーと商社が高品質、約束納期で殴り込みをかけていた。

 購買部の雰囲気がピリピリしているのを感じた。

(薬が効いたみたいだな。さあどうなるか)

 これがその年のクリスマスだった。中東ではクリスマスは、プレゼントの商戦と中東に滞在している欧米日人は(酒無しの)パーティを開く。そして年が明けた。

 正月三日の昼食後、私は急に体の具合が悪くなった。胸が抑えられるように苦しくなった。そしてすぐに体感できた。(おばあちゃんが死にかけている)と。

そのことをヨメサンに話した。おばあちゃんは、私のことを大好きだった。おばあちゃん子だった。私もおばあちゃんが大好きだった。ただ、私は中東にいて、長くおばあちゃんのことを忘れていた。体の中から、おばあちゃんの苦しみが出てきた。おばあちゃんが入院していることも、知らなかった。

 私はまず、両親の家に電話を掛けた。中東の午後2時は日本の夜8時だ。両親は電話に出ない。今のようにスマホも携帯も無かった。弟も叔母も親戚の誰もが電話に出ない。

 私は苦しさからソファーに横になり、2時間ほど眠った。その後、少しマシになったから、会社に出た。仕事をしていても調子がでない。

 午後7時半、私は思い切って、両親の家に電話した。夜中の1時半である。日本の真夜中に電話など、非常識なことはよほどでないとできない。

 長い呼び出し音の後、「ガチャリ」と、受話器が取られた。

「おばあちゃんに何があったの?」と開口一番。

「ああ、健夫か、もう知らせが行ったか?今、家に入ったら電話が鳴っていた。(親父の)お母さんは、40分ほど前に(胃がんで)亡くなったよ。今、病院から戻ったところだ。今日の夕方から、すごく痛がって、可哀そうだった」

「今日、その時間から、私は気分が悪くて…。おばあちゃんが亡くなるって、分かった」

「へえ、本当か、不思議だね」と父親も仰天していた。

次の日、正月四日、朝、購買部から電話がかかってきて、渡す手紙があるから取りに来てほしいという。取りに行って、購買課長から受け取る時、購買課長が、

「ミスター樋口、お前は恐ろしい奴だ」と小声で一言。

 私は聞かなかったふりをした。

公団の封筒を開封すると、(私が覚えている限りは)

「本件に関しては確かに1回の入札で決めるとされていたが、予算の都合上で、貴社と(ヨーロッパの)V社に再見積もりをお願いした。これは正式に決めたことだ。しかるに貴社とV社が再見積もりを提出したが、その2つの封筒の開封の際に、購買部で第三者の立ち合い無しに、行われたことが判明した。したがって、その結果の判定を無効とする。1月3日の6時の取締役会で決まったのは、貴社とV社に再度、値引きを要請し1月7日までに、取締役会会長に提出し、その場で会長と社長が開封し、決定したい」

 (1月3日の夜、7時だって)、日本時間でおばあちゃんが亡くなった時間だ。(おばあちゃんが助けてくれたのかもしれない)と私は思った。

 正月明けを待たずして、メーカーの課長に連絡を取り、何とか、値引きをしてほしいと頼み込んだ。推定は、当社の2回目の価格がV社に漏れていると仮定すると、その1.5%程度下がV社の価格に違いない。2%値下げすれば、受注できるかもしれない。もちろん、V社がもっと値引きすれば、話は別だが。

 日本のメーカーは、ほとんど失注となっていた案件に、商社が捨て身で対抗してくれたことを評価して、原価計算と値引きの可能性を再度、チェックして、ぎりぎり1.8%の値引きができた。

「樋口さん、V社が少しでも値引いたら、本件は諦めよう。よくここまで頑張ってくれた」

「わかりました。仕方がないでしょう」

 そして、1月7日の指定時間に、会長の部屋の応接間へ行くと、アハメッドがいた。

「あれ、アハメッド、休暇では」と私が言った時の、アハメッドの顔は、真っ赤だった。彼は、急きょ、休暇先から戻ってきたのだった。

 会長が現れ、私とアハメッドがそれぞれ封印した封筒を出し、開封して、「まず、貴社から」と私の封筒を開ける「全体金額 XXミリオン、サウジリアル」

「さて、アハメッドの封筒は」『V社の値段は変わりません』と、会長が読み上げた。「そうすると」、会長が私の前に来て、「受注、おめでとう」と、握手をした。(決まった)

 すると、アハメッドは、

「本件は、(公団の担当)大臣に正式にクレームします」と会長に言った。

会長は、アラビア語で「どうぞ」と一言。これで終わった。アハメッドは、大臣に抗議の手紙を出したらしいが、大臣は取り合わなかった。

アハメッドは、V社のトップから「休暇を取り消して、本件対応せよ」と指示されたのだろう。これくらいお灸をすえていれば、これ以上ことを荒立ててはいけないというのが判断だ。

噂によると、購買課長がアハメッドと怒鳴りあっているのが目撃されている。だいたいそれで何があったかの推測が付く。V社は、その後の公団の案件に参加することを捨てたという。

 それから1カ月後、私が仕事をしていたら、電話が掛かった。

「樋口です」

「ミスター樋口、私だ。アハメッドだよ」私は思わず立ち上がった。

「アハメッド!」私はアハメッドが電話を通じて、私の耳を齧るのではと思った。

「ミスター樋口、私の気持ちが分かるか?ひどい状態だ」

「……」

「実はな、お前のところから、4か月前に、ほら、北部の案件で、主要機器の見積もりをもらったろう」

(思い出した!もうてっきり、アハメッドは、破り捨てて、靴で踏んづけていると思った)

「あの機械の価格を5%下げろ。俺の気持ちが分かるなら、値引きするのだ。分かったか」

「ただちに東京に連絡します」

「おれの悔しい気持ちが分かるだろう。絶対に値引きせよ。いいか」

 今度は、東京を説得することになった。そして事情をしった同じメーカーが値段を下げてくれて、アハメッドの案件も決まった。

 アラビア人は侮れない商売人だ。悔しくて石を投げたいほどの相手に、更に注文を出し、価格を下げさせて、実質の利益を得ようとするアハメッドの商人根性には感動した。

(本件は、ネガティブ・ニュータイプが機能したことを説明するために、国名、詳細の名称や内容を差しさわりがない限り、伏せてあります。だいたいの流れはこの通りです)

考えるヒント

(1)何かを買おうとして、この人は立派な商売人だと思ったことはあるか?

(2)その逆に、これじゃ、買いたいという気持ちが湧くわけがないと思った残念な案件は?

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