私たちは、毎日、数百の思い付きを得ているが、書き留めないので、ほとんど忘れてしまう。何日、何週間、何カ月、何年か経って、ふっとその同じ思い付きを思い出すのだが、私たちは、思い出したと思わない。
すでに以前に思いついていたにも関わらず、初めて思いついたように思うのだ。そして、また書かないで、忘れてしまうと、また思いついたことも忘れてしまうようになっている。これを「根こそぎ忘却」と名付けた。年配で単調な生活をしていると多くなると言われている人に多いのは、同じ発想を牛の反芻のように、何度も何度も思いついては根こそぎ忘れて、またしばらくして思い付き、自分の発想力は劣っていないと自信を持つのだ。
実際は同じ話、同じ思い付きを何度も楽しんでいる。それはそれで平和で良いことなのかもしれないが、これは頭がボケ始めている証拠かもしれない。
その人は、奥さんから「あなた、その話3度目よ」とか、「うちの部長は同じ話ばかりするよな」とか言われているかもしれない。
しかし、このことも謎だ。この思い付きの記憶は、忘れてしまった後、脳のどこに収納されていたのだろうか。そして、あとで出てくるくらいなら、もっと私たちから見えるところに置いてくれないのだろうか。
それがどうして、急に思い出すのだろうか?そしてまた消してしまう。こんなことを何十回も繰り返しているのが意識なのか。このように意識の底に沈んで、時々浮き上がってくる記憶がたくさんあるとして、それらはどこに収納されているのだろうか?
考えるヒント
何かをしていると、決まって何かを思い出すことはあるか?
追加
ところで、記憶と言えば、
我が家では朝食は、てんで勝手にとなっている。私の得意は、「にんじん、バナナ、トマトジュース」だ。40年近く飲んでいる。この準備をしている時、私はいつもモンゴルの平原から南西アジアの生活を思いつく。私はいずれも行ったことがない。いつもモンゴルからアフガニスタンの田舎で生活していたような意識が湧き上がってくる。水道をいじり、野菜の皮をむいていると、その思いが毎回する。
私のDNAに刻まれた記憶のように感じるのだ。