ドバイの友人を訪問した時、観光で夕方訪れた海岸にテントが並んでいて、何か展
示会をしていた。
たぶんドバイの観光と特産品の展示会だったと思う。
その一つに、お寿司の大皿のような大きな皿に、山盛りになった天然真珠が展示さ
れていた。アラビア湾で、採れたものか、何千個あるのか分からない。天然真珠だか
ら、まん丸のものでなく、形はまちまちだった。天然真珠の値打ちは多分養殖真珠よ
りも高いのかもしれない。
「すごい!」と生唾を飲んだ。
何千万円、いや何億円もの値打ちがあるだろう。明るい照明の下に大皿の真珠は燦
然と輝いて途方もない美しさだった。両側にガードマンが二人立っていた。ドバイの
豪族が展示していたのだろう。目つきの悪い日本人を見守っていた。
これらの豪族から見れば、日本の養殖真珠は相手にしないだろう。
私は2004年に、物産を定年退職してアイデアマラソン研究所を設立したが、ちょう
どその頃から、私に孫が生まれ始めた。その時に、ある独創的な決心をした。それは
孫たちが生まれた日から、毎年の誕生日に真珠を一粒プレゼントすることだった。
私は真珠のご本家のM真珠店に、穴の開いていない真珠を購入したいと問い合わせ
たら、断わられた。「穴の開いていない真珠は売っていません」とすげないこと。もう
1社も同じ答えだった。真珠は穴を開けて指輪にするか、ネックレスにして値打ちを
上げて、売っているのだった。それが真珠業界の常識だった。諦めようかと思った
が、ダメもとで田崎真珠店に相談に行ったら、売ってくれるという。それ以来、私は
毎年、初春になると、田崎真珠店へ行って、穴の開いていない7ミリの真珠を孫の数
だけ買ってきた。
真珠は毎年値段が変わる。だいたい少しずつ値段が上がっていく。
孫は、二人目、三人目と生まれて、私の購入する真珠も、今は毎年5粒まで増え
た。穴の開いていない真珠は、選りすぐりの真珠であるから、そんなに安いものでは
ない。
0歳で1粒目だから、20歳になると21粒となる。真珠のネックレスにするには、57粒
ほど必要だという。孫にも男女がいるが、女の子は、自分の宝物にしても良いし、
ネックレスにしても良いだろう。男の子は、自分の意中の人が決まったら、プレゼン
トすることにも使える。
「僕の(変人の)じいさんが毎年くれた」と言えば、多少の話題にできるではないか。
毎年の真珠を喜んでくれているのか、どうかは分からないが、私が足腰が立つかぎ
り、田崎真珠店で選ぼうと思っている。
さて、ニューヨークのマンハッタンの5番街には、ダイヤモンド・ディストリクト
がある。その歩道の敷石の隙間をほじくると、だれかが落としたダイヤモンドが見つ
かることがあると言われている。
日本では違う。さすが養殖真珠の発端の国、真珠の大好きな日本人が一番、ぽこぽ
こ落とすのは、真珠だと思う。
都内の落し物真珠採りの歴史は、20年ほど前に、私が関係会社に出向して営業部長
をしていた時にお客廻りをして、その時から、時々、真珠を道路で見つけていた。あ
る時なんか、穴の開いた真珠が3粒ほどばらばらに落ちているのを見つけたことが
あった。
「これは…」と落ちている真珠を手繰っていくと、下水の蓋の隙間に2粒引っか
かっているのも見つけた。2粒は鍵先で回収したが、それ以外は下水に落ちたか
も。ヨメサンに見せたら、「そんなもの偽物よ」と一瞥もしなかった。その後、海外
駐在したが、あのばらばら真珠事件はどうなったのだろうか分からない。ただ、道路
に落ちるということは柔らかい真珠の肌に傷をつけてしまう。商業的価値はほとんど
なくなるのだろう。
ここ過去5年間、ほぼ同じルートを毎日5キロほど歩いてきた。例によって自転車を押
しながら英語会話を勉強するという方法だ。その間に真珠が道路に落ちていたら、一応、拾
うことにしていた。偽であるか本物であるか分からない。しかし、結構たくさん落ち
ているのだ。もちろんプラスチックに真珠色のペンキを塗った人工真珠、偽真珠がほ
とんどだろうが、そんな判別もつかない。
毎日歩いている時に、必死になって真珠を探しているのではない。私の目に、自然に
落ちている真珠が目に入ってくるのだ。勘というか、巡り会いというか、よく拾うの
だ。ビジネスチャンスを見逃さないのだ。ほとんどが一粒ずつで落ちている。それを
拾って、机の横の小さなコップに溜めてきた。
小さな真珠で、数十粒、小さなコップの4分の1ほどになったと、ヨメサンに言った
ら、あんなにバカにしていたヨメサンが、「私に見せてよ」と積極的にコップの真珠
を見ていたが、5分で「フン」の一言を言ったきりだった。残念だった。
海の環境がどんどん悪くなり、赤潮が発生して、養殖真珠貝が全滅することもあると
いう。いつまで日本の特産品の真珠が採れるのだろうか。孫たちが私の気持ちを理解
してくれるだろうか、分からない。ただ、毎年ダイヤモンドを孫たちに送り続けることはできないが、素晴らしい真珠でも、何とか私の”甲斐署(漢字はこれでよいのか?)でまかなえる範囲の宝物だ。それが真珠なのだ。
私が都会で採集してきたばらばら真珠たちは、食堂のカウンターの端にあり、ペンま
でが突っ込まれている。見たい人にはいつでも見せるが、ポストコロナにして欲し
い。
考えるヒント 自分の大事な人に、毎年同じものをプレゼントするという一見して退屈な方法だが、深淵の愛情を示すには、何をプレゼントしますか?