旅のエッセイ

 旅に出ると、無性にエッセイを書きたくなる。そのネタを考え始める。抽象的な話は得意でないし、書きたくない。エッセイは自分で体験したもの、自分で実証したものを書こうと過去30年間守ってきた。機内、列車内は、アイデアマラソンで発想を出し終わると、映画を見るか、エッセイを書く。

 静養休暇の旅に出て、ウィーンのホテルに到着して仰天した。宿泊が私だけで一晩300ドル(当時は多分、1ドル=230円ほど)の豪華なダブルルーム。ホテルの予約を事前に頼んでいたのが失敗だった。“失礼”なところに泊められないと考えたのだろう。失礼なところに泊まりたかったのに。

 素晴らしいホテルだった。クラシックで、ベッドも、バスルームも最高だった。食事は入っていない。私は休暇の旅行では、空港からはタクシーに乗らない。高価なホテルには泊まらないというポリシーだった。しかし、美しいホテルで一晩過ごす。さあどうするか?

 私はエッセイを書くことにした。夜なべして、エッセイを3本と手紙を1本書いた。当時はパソコンも携帯用のワープロもなかったので、分厚いアメリカ製の酸性紙のノートを持っていて、それに手書きでエッセイを書いていた。エッセイ3本を終えたとき、朝の4時だった。そうして、ふっと思いついた。数日前に生まれた三男の20年後に手紙を書こうと。

 「新しく私の家族に加わったお前に~、今は20歳になったろう」私は20年後を予測して書いた。もちろん世界戦争や、大感染などは予測していない。時にロマンチックになる私であった。そのホテルの引き出しに入っている美しい(一晩300ドルの)封筒を二重に入れて、外側に日本にお産で一時帰国しているヨメサンの宛先を書いて、ウィーンから送った。ウィーンの市中の建物の屋根は趣がある。風呂は2回入った。そういえば、ヨメサンはあの手紙どうしたろう?

 300ドルのホテルも、エッセイ3本で元を取れるとすれば、エッセイ1本1万円!

なかなかのものだ。

 その三男が43歳! 「しまった。無茶苦茶オーバーランしている。あの僕の手紙は、どこ行った?何を書いたっけ?」

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