飼うならバセットハウンド 哲学犬

私はほぼ毎日、同じコースを約4キロほど自転車を押して歩く。自転車には小さなプラスチックのテーブルが付いていて、それに昔のNHKラジオ英会話の薄い教科書を取り付けて、暗記を確認しながら歩いている。すでに7年以上も続けている。自転車を押すだけでも、誰にもぶつけないように、前方を注視している。

私は時間ケチなので、ただ歩くだけでは、時間がもたない。肉体的運動と知的活動を「ながら」にして、歩いている。もし、トイレに行きたくなれば、そのルートには3分以内に、コンビニ、スーパー、ディスカウントなど、公衆トイレがある。危機管理はばっちりだ。

そのお決まりの帰りのルートで、国道からT字路になっている角に、おばあさんが胸に犬を抱えて立っていた。そういえば、昨日も、一昨日も、そこに立っていた。まだ、蒸し暑い感じの残っている街角である。

私は自転車を押しているが、人懐っこいので、

「誰かを待っていらっしゃるので?」と、おばあさんに尋ねたら、

「いえいえ、このワンちゃんに街を見せているのです」と言う。「いつもマンションの中にいるものですから」

「なるほど」と思ったけれど、ワンちゃんがどのように、外の景色を見て、喜んでいるのだろうか。

 そういえば、この近所、犬を乳母車に乗せて押している人が何人かいる。あれも、犬に気晴らしをさせているのだろうか。犬から言えば、道路を歩いて、様々なコミュニケーションの臭いを嗅ぎたい、可愛いワンコがいたら、お尻の臭いを集めておきたいと思っているだろうが、乳母車から外を見ながら、運ばれているのを見ると、間違いなく運動不足になるだろうと、余計な心配をしている。

 4匹も5匹も紐で連れながら、散歩しているのを見るが、他の犬とのコミュニケーションを犬たちは間違いなく楽しんでいると思う。

 私の夢は、バセットハウンドという耳と胴が長く、たれ目で、足が短い犬をもう一度飼うことだ。

最初は、1969年にオーストラリアに2年留学した後、帰国直前につがいのバセットを買って、帰国後友人に送ってもらった。これは素晴らしい犬だった。京都の私の両親は、自分の子供が増えたように家の中で飼った。当時は本当に珍しく、ハッシュパピーのテレビの宣伝にも出た。その宣伝には、今のヨメサンが足の先だけ出演していたが、それが私と結ばれるきっかけになったのだろう。1度、自宅で12匹のお産をして、私が産婆さんをして、滅茶苦茶かわいいハッシュパピーとなった。私の叔母のところでも、1匹が終生家族となった。

 そのつがいのバセットハウンドは、私が三井物産の東京本社、そして12年にわたる海外勤務の間、見事に両親の子供たちの役目をはたしてくれた。

 私は、それから20年近く後に、今度はベトナム勤務になった時、オーストラリアに旅をして、またまたバセットハウンドを1匹飼って、ベトナムで飼っていた。この犬は、私の仕事がひどくきつかった時も、私を慰めて、私に話しかけてくれた。

毎朝、私のところに来て、庭に出たいと言うのだった。ベトナムの駐在が思ったより早く終わり、帰国して社宅に住むことで、犬が飼えず、実弟の家に頼んだ。やはりその家の子になって、可愛がられて、終生、家族待遇となった。その家の家族以外では、私だけが、会いに行くと、おしっこをちびりながら、喜んでくれた。

 今は、ヨメサンがガンとして、犬を飼うことを許さないでいるが、どこかで、隙をみて、飼ってやろうと思っている。あの胴長の、耳を頭の上で括れるバセットハウンドを狙ってはいる。バセットは犬の哲学者だという。バセットは中型犬なのでマンション向きではないのが残念だ。

                                                                                              

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