考えるヒント 殺気 4 危険の女神が近づかない

私は臆病者だった。ヨメサンに尋ねてもらうと、いかに怖がりか、悪いことが起こらないかを、いつも心配してきたかを話すだろう。それは家族を守るためでもあった。

 不幸の女神、貧乏神、厄介神は、名前を呼ばれたり、心配されていると出現しない傾向があると(勝手に)思っている。すごく人見知りするか、恥ずかしがり屋だと思っている。

 海外でも、国内でも、車に乗って遠くに出かける時には、事故が起こるのではないかと本気で心配していた。

ベトナムに駐在していた時、ハノイからハノイの外港であるハイフォンまで140キロをほぼ仕事で毎週出張していた。

 今は日本政府が作った立派な高速道路と、新しい橋があるが、当時は、この国道4号線は、日本の田舎道と同じで対面の一車線、車、自転車、前後の籠を担ぐ農夫、水牛、豚、荷車、アヒル、これら全部がぞろぞろと走るなんとも賑やかな道路だった。途中の橋は、鉄道と道路が一緒になっているベトナム戦争以来の古跡だった。

 交通事故は、ほとんどが道路から田んぼに車が転落する形で、頭から突っ込んでいて、他の車への警鐘となっていたが、行きに2件の事故あり、ハイフォン市内で一件、さらに帰途にまた新規に1件で、毎日3件か4件の事故が、この140キロで起こっていた。無茶苦茶危険な道路だった。

 車はこれらの様々な障害物を前にして、反対車線に出て追い越そうとする。反対車線の車も、やはり反対車線に出ようとして、ガッチャンをやるのだ。世界有数の危険な国道だと言われていた。(実際は、世界中に、“世界一危険な道路”がある)

 不幸の女神も忙しかったに違いない。そこで、私は、運転手のクイさんに、「今日は、事故が起こる気がするんだ」とベトナム語の先生に教えてもらったベトナム語で話すと、クイさんは、「細心の注意を払って運転します」ということを行きの出発点と、帰りの出発点で交わしていたものだ。

 ある日、ベトナム人の部下を同行した時、やはりいつもの通り、クイさんに「今日は事故が起こりそうだ、注意して行こう」と言ったら、部下が怒り出した。そんなことを言ったら、事故の神様がやってきます。何ということを言うのですか。私は一緒に行きたくありません」

 そうなんだった。ベトナム人は超迷信を信じる民族だったのを忘れていた。可愛い子供を見ても、決して「可愛いね」とほめてはいけないのだ。誉めると、それを聞いた不幸の神様が子供をさらっていくというのです。だから誉める時は、小声で「ここだけの話だが、可愛いね」ということになっていたりする。

 ハイフォンから無事に帰ってきた後、「ほら、不幸の女神は来なかったね」と言ったら、また怒り出した。「よほど幸運だったからです」とぶりぶり言っていた。ベトナムで迷信を集めたら本になるというほど一杯ある。

 しかし、ベトナムに滞在した2年間、交通事故に一度も会わなかった。私の場合、事故を意識して運転するというのは、18歳で免許を取って、この年まで“人身事故”を一度も起こさず、運転しない年代に入ったのだから、結果的、体験的に、「事故が起こるぞ」と意識することは、女神を呼ばないと言えるのではないかと信じている。国内にいたときは、自分の車のハンドルに「事故に注意」と紙に書いて貼っていた。

 この危機予知は、海外生活をしている時には、極めて重要だ。海外のデモの報道で、通りかかった車が火を付けられているのを見たことがあるだろう。だから、平穏にデモをしている人たちだと、油断していると、突然、投石が始まることもある。暴動が始まることもある。

 4年半、ネパールに駐在して、その4年半は、反政府勢力(マオイストと呼ばれる集団)は、国の様々なところで爆弾を破裂させた。特に警察を武装集団が襲って、3000人以上の警察官を殺したという。

 事務所から帰宅の途中ではるかに遠くにデモ隊が見えたら、私はさっと引き返した。殺気を感じるのだった。遠くの迂回路を走らせた。自宅にはガードマンとすごく忠実に吠える番犬がいて、外の壁の鉄の扉をぶち破られても、家のまわりも、鉄格子で囲み、3分間は耐えられるようになっていた。ガードマンには、鳴ると耳を防ぎたくなるような強烈な鉄の棒の警報ベルを持たせていて、その安全ピンを抜いて投げつければ、逃げても構わないと言ってあった。私たちは、家の中で秘密の隠れ場に入ることができた。

 一度も結果的には暴漢が押し寄せたことはなかったが、私は常に備えをしていた。乗っていた車は特殊フィルムを張り、破壊できないようになっていたし、車のボンネットには、車内の後部席のスイッチから鳴らせる巨大な防犯ベルを稼働させることができた。一度も使わず、無事に帰国した。

  まずは怖がりの危機予知、そして直観での殺気の測定だった。

追伸 自宅で子どもたちと殺気感知のトレーニングを何年も受けていて、やはり大きな効果があったと思ったのは、米国のニューヨークに出張した時だ。一見賑やかに見える通りで、私は強烈な殺気を感じていた。「こりゃ、いかん。やばい」と思ったことを覚えている。

考えるヒント

(1)これはやばいと思う状況に会ったことがあるか?

(2)自宅をもっと守るにはどうすればよいか。

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