考えるヒント アイデアマラソン哲学 12 分かり易さへのこだわり

高校時代から、哲学には関心を持っていた。大学に入って、いくつかの哲学書(名前も覚えていない)を読んでショックを受けた。その前に「ソクラテスの弁明」を読んだ時の感激をいまだに覚えているから、残りの哲学書も同じように分かり易く説得力があるのかと思ってしまった。私の教養が低すぎたのか、執筆している人が特別の才能を持っていて、難しい言葉を並べて、私たち読者を煙に巻き、困惑させて喜んでいるのかどちらかだと思った。

作家の中には、わざと難解にして「最近の読者のレベルは低くなった」とコメントするような人もいて、私は何なんだと思った。本は、読まれて、読まれたその時点で理解されて、なんぼのものだ。わざと難しくしているなら、パズルの本にでも出した方がよいだろう。それを大学の入学試験にまで活用されて、受験生が試され被害者となり、迷惑している。

私は高校生のころから「難解文章恐怖症」であったから、読み始めた途端に拒絶反応を起こしてしまった。カントにしても、ニーチェにしても、とても歯が立たなかった。明治以来の美文調の伝統か、訳語の悪さか、とにかく難しい。(参考までに、大阪外大で一年生の時に経済原論を取ったが、さっぱり分からなかった。3年になって、オーストラリアのシドニーのマコーリー大学に留学して、英語で経済原論を受けて、その分かり易さにふるえるほど感動したことがある)

学生のころは、私自身がもの書きになるとはまったく思っていなかった。人生半ばで、エッセイや実用書を書き始め、その後にアイデアマラソン関係の本を書き始めたが、私の本は分かり易さ、読み易さに徹しようと決めた。誰でも読める本にしようと固く決意した。

アイデアマラソンが哲学であると直感でも思い始め、それをアイデアマラソンノートに書き留めて以来、分からん哲学は無視して、自分で哲学を推し進めようと決意した。30年前のことである。何としても自分の哲学を打ち立てて、更に他の人たちがそれぞれ自分の哲学を持てるようにしようと考え始めた。哲学は個人で始まる。他人の哲学に賛同するのは勝手だが、国家が哲学を牛耳るとろくなことはない。

アイデアマラソン哲学では、どんどん大きくできる容器のようなものだから、自分で考えたものをそれに収納し、その袋から取り出してレビューできるという便利な道具としてのものだ。理論、構造、発明、コンセプト、思い、すべてをこのアイデアマラソン哲学の容器にいれていくことができる。あくまで自由の思考を確保し、思考の多様化を目指す哲学なのだ。

 とにかく、アイデアマラソン哲学では、分かりやすい説明をして、より多くの学生や一般の人々、特に女性たちの感覚を刺激するように努力するべしだと考えている。アイデアマラソンを実行しようとする人は、哲学を実行するのであるから、この理解の平易さには、十分に配慮して欲しい。

分かりやすい文を書くことは、本人がそれだけ理解している必要がある。

考えるヒント

今まで習った科目で、さっぱり分からなかった科目は何か?高校時代でも、大学でも構わない。それを現在の本で、(できれば原書で)学び直してみたらいかが?案外分かりやすくて、スイスイと理解するかもしれない。人生観が変わるだろう。

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