暑い、熱い、熱暑い

暑いときにあつい話は書きたくないが、臨場感はでる。

「あつい」という漢字は、本当によくできている。「熱」は、(本当は違うのだろうが)下の点4つは、ガスの火やかまどの火に見える。人が日常の生活で感じるあつさは、「暑い」この字では、人の上に太陽がべたっと落ちてきている感じがする。今年の漢字候補だろうが、秋になって涼しくなり、冬になると、暑さを忘れるのが私たちの常だ。

日本の暑さは、湿度が高いので、新しい漢字を考えてみた。「暑」という字の左側にサンズイ扁を付けよう。蒸し暑いという字、あるいは暑いの下に点を4つ書くのも良い。吹き出す汗にも見えるので、漢字としての表現はすごく良い。両方の漢字を合わせて、熱暑と書いても、通じるではないか。このくそ暑さに対応する新しい漢字があっても良いのでは。アラビアや中国とは違うだろう。ナイジェリアなど西アフリカ地域の暑さだ。

今、都内の冷房の効いた夢のような図書館でこのエッセイを書いているが、学生時代にずっと通っていた京都の図書館も無茶苦茶暑かった。天井の扇風機は、熱風をかき混ぜているだけと思った。

世に“エアコン”というものがあるらしいが、当時では映画館や劇場だけだったように思う。

「家にエアコンがあったら、東大でも、ハーバード大でも入ってやるぞ」と思いながら、汗をかいて勉強していた。

大学紛争がピークになった1969年頃の大学では、学長室にだけエアコンが入っていて、それを狙って学生たちが占領していたが、大学の電源を切られたら、暑くて封鎖を説いたとも聞いた。

京都の夏の暑さは、大文字や祇園祭と一体になった記憶だが、とにかく受験戦争をエアコンなしで通したおかげで、三井物産入社後、2年半で憧れの海外駐在になり、ナイジェリアのラゴスに到着した時も、暑いからといって、帰国したいとは思っていなかった。

住んでいたマンションは、何と巨大なGEのエアコンが入っていたので、夢のような生活だった。スイッチをいれると「ドン」と音がして、ゴロゴロと涼しい風が出てきた。時々故障した。一年を通じてエアコンを使っていた。エアコンにはヒーターは付いていなかった。

車はトヨタのランドクルーザーの新車で、エアコンが装着されていたが、当時のカーエアコンは、渋滞やアイドリングになると、親切にも切れるようになっていた。馬力が不足していたのだろう。

当時、ラゴスは世界一の渋滞を誇っており、エアコンから生熱い空気が出ていた。顧客を訪問した後、運転手と二人で、ひどい渋滞(最悪は100メートル3時間)にひっかかり、そこに滝降りのような豪雨。外に出られず、車は動かず、私は後部座席で汗でびしょびしょになりながら、寝ていた。

こんなことを3年半もやっていたら、私の皮膚の予備の汗腺までが全部開いてしまって、要は汗かきになってしまった。体が進化して、環境に順応しようとしたのだ。後日、日本に帰国したとき、寒さには人と比べて2度から3度の違いで、寒く感じた。汗腺が開きっぱなしになったのだろうと思う。ナイジェリアの暑さは、サンズイ+暑いで、空気を手で握れば、水を絞れると言っていた。

ある日本人の駐在員の家では、エアコンが室内で空気中から取り出す水をバケツにためて、実際にトイレで使っていたという。

信じられないが、ヨメサンは熱いのにまったく文句を言わなかった。諸々の態度からは、亭主と一緒に生活したいので暑さを我慢している風でもなかった。多分極度の鈍感なのではないか。

 ナイジェリアのラゴス3年半の後、うれしいことに、世界の熱気の総本山のサウジアラビアの砂漠の中の首都リヤドに手を上げて、家族を連れて赴任した。これには同僚たちは動揺した。ナイジェリアのような暑苦しいところに手を上げて行ったあの変わり者の樋口君が、その後、火のガスを噴き出すサウジアラビアに家族で向かうとは!

 私が手を上げて行ったことを知らない東京の同僚たちは、島流しから帰ったら、別の島流しに遭ったと思っていたようだ。そんなきつい人事があるのかと話題になったという。本人も家族も楽しんでいたのを知らない。

 サウジアラビアの一年は、「暑い、もっと暑い、無茶苦茶暑い、涼しい(11月から2月まで)」という四季だ。どのくらい暑いかというと、停電が多いのでロウソクを買っていたら、ロウソクがとろとろに流れてしまったほどだ。壁が外気で熱いのだからすごい。家を出ると、ガンと顔を撃つ熱気が、「ああ、これがサウジアラビア」という風で私は好きだった。メガネの縁や鼻留が熱くなりすぎた。外に停めた車は、エンジンをかけるための鍵穴に鍵を入れて回すと数秒で鍵が熱くなりすぎて持てなくなり、いつもワイシャツの袖のボタンを外して、鍵をかけるか、タオルで鍵を覆って掛けていた。

 生卵を、運転席のコンソールの上に置いていたら、立派に温泉卵になった。測ると摂氏104度の温度になっていた。ただ、極端に湿度が低く、その点では陰に入ると楽だった。ハエも蚊もほとんどいなくて、いてもゆっくりと飛ぶので、空中手づかみや、雑誌叩き落としなどが可能で、飛ぶ時間帯は、早朝と夕方がお仕事時間のようだった。

 超乾燥のために、エアコンの効かない車では、まず外の熱気が入らないように全窓を閉める。そうするとサウジのサウナになる。そこで、みんなで号令を掛けて、1,2,3で全窓を開ける。すると超乾燥の素晴らしさ、一気に体中の汗が乾燥し、その気化熱で、めちゃめちゃ寒い。 

それは一瞬で、その後また熱風が入り、窓を閉め、汗をかき、また号令で窓を開けて、「う、寒い」だった。

この原理を使って、当時の家では、砂漠のクーラー(デザートクーラー)を使っていた。大きな箱に回転する風車を入れて外気を引き込みながら、棕櫚の葉っぱに上から水を点滴して、気化熱で気温が下がった空気を部屋に吹き込む。これも健康的な感じで結構涼しかった。ただ、停電があまりに頻繁で、昼間は事務所、夜は家が停電だったので、日本からの出張者S氏なんかはベッドに水を撒いて、「暑い、冷たい」と言いながら、砂漠で熱死した羊のような恰好をして、必死に寝ていた。更に、赴任したころの1978年は、水道は2週間に1度しか出なかった。

 プールで泳ぐと外に出られない。水から外にでると、体中が一瞬に乾燥で冷えて、寒くて震えるからだ。洗濯物は、ロープの端から干し始めて、反対側まで干すと、もう取り入れることができた。

 今はサウジアラビアは、どこの町も最先端の近代都市で、インフラは世界一だ。水も電気もまったく問題はない。道路にはごみ一つ落ちていない。毎日、外国人労働者が掃除している。外は40度を超す外気で、室内が28度だと、体はどっちに付いていくのかわからなくなる。家で飼っている熱帯魚には電気のヒーターが入っていた。

 砂漠は一説には4時間歩くと熱死すると言われていた。私は信じている。このすさまじい暑さの話を聞けば、日本の暑さは、少し収まるのではと思うがいかが?では、暑いときはどうすればよいのか。それは日陰で、昼寝をすればよいのだ。そして夜にうろちょろすればよいのです。無理をしないで、昼寝することが答えだ。

 熱帯夜の時は、来年度からは、昼夜を逆転してはどうかと思っている。

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