我が家の言い古しに、
「今、どこにいるの?」電話で聞かれると、
「ロンドン」と答えるという決まり文句がある。
さすがにヨメサン、慣れたか、ほとんどこれだけで、私がだいたいどこにいるかを理解している。わからない場合は、「ロンドンのどこよ?」となり、「ロンドンの図書館」という他人が聞いたら、なんのことやらと悩むだろう。我が家ではこれで正気だ。
何でロンドンだと言われると、昔の海外駐在の残滓が残っているとしか、言いようがない。
ヨメサンと二人で生活していると、
「今晩、何食べたい?」と聞かれると、
「カレー」と言ってしまう癖になっている。これは小さい時からの習慣。
「カレーはだめ、手間」
「じゃ、聞くな」というのが私たちのいつもの会話の完成体。
結局ヨメサンは、私の意見とかけ離れた、冷蔵庫にあるもので料理してくる。
ある時、ヨメサンが4日間留守となった。
こんな場合には、一晩か二晩の留守食の準備をしていくが、慌てたのか、何もない、「適当に食べておいてね」と出かけた。
そこで「何を食べようか?」と自問自答すると、いつもの悪い癖で、「カレーだ」と自分で答えてしまうではないか。
そこで、スーパーに買い物に出かけた。まずはカレー粉で、「辛口」を探す。
そして売り場で、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎを買って、いよいよ主役の肉を選ぼうとしたら、豚のカレー肉で100円安のラベルが目について、ゲット。見るとエビも50円安のラベル。ふらふらっとエビも買ってしまった。
自宅で、カレーの料理を開始した。まずは、フライパンで豚の角切りを焼いた。その際に辛いペーストを加えている。うるさい息子たちがいれば、玉ねぎも炒めるが、一人の時は面倒なのでそんなことしない。ジャガイモは、剥く。
大きな寸胴鍋にたまねぎ、にんじん、ジャガイモを入れて、ごとごと煮る。沸騰したところで、カレーのブロック(6人前)を入れる。これから三日間これで食いつなぐのだ。できるだけシンプルにしていこう。
ごはんは1合。出来上がった新鮮カレーの旨さ。最高だ。ヨメサンがいないときは、500ミリビール缶で、独りの寂しさと生きてる充実感を味わう。カレーのお代わりも少ししてしまった。まだ半分以上残っている。
次の日の朝に、温めなおしておく。
2日目の夕食はやはりカレーだ。「そうだ。エビさんが残っていた。エビ豚カレーにしよう。ついでにチリーを入れて、もっと辛くしよう」
これがまた、旨い。辛い。そして、その日も海鮮豚カレー・ビール付きの食事。
次の日、ヨメサンから電話で、
「何食べてるの」
「カレーに決まっているじゃないか」
「……」
その日の夕方にはもっと、色々入れてやろうと考えて、わざわざ別のカレールウ(辛口)を買い、本物の熊本産アサリ、タラの切り身小型一切れ、半額で見つけた牛肉のシチュー用を大きめに切って、炒めて、ぶち込んだ。豚さんもエビさんも数個残っていたはず。それに赤ワインとヨーグルト、牛乳と、冷蔵庫にあるものをなんでも入れようとした。
入れなかったのは、納豆くらいだ。
この味はあまりに極上すぎて、「旨かった」という表現しかなかった。再現性は不可能だろう。にんじんは形をのこしていたが、ジャガイモは小さくなり、タマネギは、姿を消していた。そして寸胴のカレーは見事に全部、腹に収まった。
そして、ヨメサンが帰宅し、食事はいつもの正常パターンに戻った。
次の夕方にヨメサンの友達たちが集まって、いつものワイワイ話をしている時、
「ご主人は、留守の間はどうしておられるの」と、尋ねられ、
「もちろん、自分で料理してます。カレーです。最高の味のカレー」と言って、この3泊4日の複雑牛豚海鮮カレーを簡単に説明したら、ヨメサンが
「そんな気色悪い食べ物、やめて、やめて」と叫んだ。
その時、
ヨメサンの親友の一人が、
「それ、美味しそう。食べてみたいわ」
もう一人も、顔を立てに振って、肯定。
「ミロミロ、ミロのビーナスだ」